横浜は開港以来150年。外人墓地や異人館に行く人は多いけれど、その前に立ち寄ると良い場所があります。

「横浜」と聞くと「港町」というイメージが日本人の間では定着していますが、外国人の方々にはどうなのでしょうか?単に東京の隣とか中華街があって面白そうといったイメージが多いのではないでしょうか?山下公園辺りから見える大桟橋にクルーズ船が泊まっていると、ここは港だと初めて思う方もいるかもしれません。でも、150年前位までは、横浜は小さな村でした。それが、どうしてこんなに大きな街になったのかは、150年前にあった事がきっかけです。その事を知るためには先ず「横浜開港資料館」という場所に行くと良いですよ。ここは余り知られていないので観光で訪れる人は多くありませんが、とても興味深い博物館です。場所は神奈川県庁の一つ南のブロックにあります。

この写真はその中庭で撮ったものです。手前の絵は1854年にアメリカのペリー提督が日本に来て日米和親条約締結の様子を描いたものです。この絵の右に写っている木が後ろにある木の場所です。この絵からは横浜には何も建物が無かった事が良くわかりますし、この資料館の前は海であったわけです。横浜発展の歴史はここから始まったのです。この条約により、横浜は海外の船が着く港として歩み始めました。もっと詳しく知りたい方は是非資料館の中に足を踏み入れてみて下さい。開港から約60年位前までの資料や写真があり、少しでも歴史に興味がある方なら結構楽しめますよ。

写真だけではつまらない。もっと雰囲気を楽しみたいという方は是非「横浜開港記念館」に行ってみて下さい。ここは約100年前に作られた建物ですが、赤レンガで造られた塔があり「Jack」と呼ばれています。ここの見どころは建物そのものと内部のステンドグラスです。

現在の建物は会議室に使われていて、内部には資料はありませんが、この建物とステンドグラスは一見の価値があり、100年前の華やかさが偲ばれます。横浜にはこれ以外にもKing とQueenと呼ばれるタワーがありますが、写真撮影にはこのJackが一番だと思います。

Kingは県庁でQueenは税関のオフィスとして現在使われています。何だ!これだけと思われる方も多いかもしれません。では、最後の場所にお腹も一杯になりますし、文化的な価値も高い所へご案内しましょう。

それは山下公園から道を挟んで反対側にあるホテルニューグランドです。このホテルは1927年に開業した外国人向けのホテルです。このホテルは1945年から1952年までアメリカ軍が使用し、マッカーサーが日本に到着して直ぐに3日間滞在しています。その部屋は315号室でマッカーサーズスイートと呼ばれています。

このホテルの内部は最近のホテルとは全く異なり、文化遺産そのものです。

この石造りの急な階段と絨毯はどこを探してもありません。そして、このホテルでは是非食べてみて欲しいメニューが3つあります。その1つ目はシーフードドリア。この料理は今ではとてもポピュラーですが、最初に作ったのはこのホテルニューグランドの料理長だったS.Wailというスイス人です。これはメニューには載っていなかったのでが、お客様が病気で柔らかい物を食べたいと希望されたので、提供し、大層お客様は喜ばれたそうです。そして、2つ目はこれも今では喫茶店のメニューにもなっていますが、スパゲティーナポリタン。

これは戦後すぐにアメリカ人がスパゲッティ―にトマトケチャップをかけて食べているのを見た日本人の料理長 入江が作ったメニューです。イタリアのナポリで造られたメニューではありませんが、今でも多くの人に愛されているメニューです。最後はプリンアラモード。これもこのホテルが発祥です。アメリカ人将校の奥様を喜ばせるために作られてメニューです。彼はアメリカ人の趣向に合わせてボリュームがあり且つ日本的な美しいものをと考えてこのメニューを考案しました。

横浜は150年前からアメリカを始め多くの外国人を迎え入れてきました。そのため外国からの影響が多く残っています。建物を外から見るだけではなく、是非中に入って違った雰囲気を味わってみて下さい。

ライター:Hiro

横浜での観光案内や前撮り撮影は株式会社うるわしきまでお気軽にお問い合わせください。(info@uruwasiki.co.jp)